松平義春,家忠,康親墓所〔花岳寺〕
まつだいらよしはる,いえただ,やすちか ぼしょ(Graves of Yoshiharu,Ietada and Yasuchika Matsudaira [in Kagaku-ji Temple])
【K-AC021】探訪日:2014/6/14・2021/10/16
愛知県西尾市吉良町岡山山王山67
【MAP】
〔駐車場所〕華蔵寺前および花岳寺に駐車場がある。
花岳寺の塔頭広国寺跡にある青野城,東条城主であった松平義春,家忠の墓と、幼い頃の家忠の名代を務めた松平康親の墓所,顕彰碑である。なお、これらの墓はもとは東条城近くの法応寺跡にあったが、2011(平成23)年に当所に移築された(【C-AC061】東条城跡の写真参照)。さらに、康親については三枚橋城近隣の乗運寺(静岡県沼津市)の墓に葬られたとされるほか、茨城県笠間市笠間の月崇寺にも墓所が存在する。
松平義春は松平宗家5代・松平長親の子で東条松平家の祖とされ、子・忠茂は1556(弘治2)年の日近の戦いで亡くなったが、義春もほぼ同時期に病死したとされる。忠茂の嫡子で1歳にして遺児となった亀千代はのちに家忠となり東条城主となるが、幼い亀千代の名代を務めたのが松井忠次、のちの松平康親である。康親は今川義元死後に徳川家康に帰属し、1581(天正9)年に家忠が病死すると、2歳で東条松平家を継いだ家康の4男・福松(後の松平忠吉)の名代,後見人も務めた。1583(天正11)年6月、駿河国沼津の三枚橋城で後北条氏と対陣中に死去した。