上野下村城跡
うえのしもむらじょうあと(Ueno Shimomura Castle Ruins)
【C-AC633】探訪日:2023/7.3
愛知県豊田市上郷町会下山32-32
【MAP】
〔駐車場所〕
会下城ともいう。築城年は定かではないが、1490(延徳2)年以前に伊勢国一志郡榊原村(榊原城)から来住した榊原七郎右衛門清長の築城ともいわれるが不明。その後、内藤重清,内藤右京進義清,内藤弥次右衛門清長と続き、清長の子・内藤弥次右衛門家長が1546(天文15)年に当地に生まれている。1590(天正18)年の家康関東移封に伴い、家長も上総国佐貫2万石へ移り、廃城となった。
1600(慶長5)年、石田三成は関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城攻撃を4万の兵で仕掛け、これに対し、内藤家長,元長父子は鳥居元忠,松平家忠ら城兵1800人で伏見城を護り、三成勢西軍を10日以上足止めしたのち討死した。
城跡は、家下川西側の県営上郷住宅の辺り、あるいはその西側の周囲よりやや高い会下山という台地辺りとされるが、いずれも遺構は残されていない。なお、豊田市立上郷中学校の東側にある天道院の一角には、上野上村城跡と同じく、榊原康政誕生地の碑がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1490年 | 1546年 | 1590年・1600年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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榊原清長 | G374 | 内藤重清 | F910 | 内藤義清 | F910 |
内藤清長 | F910 | 内藤家長 | F910 |