臼子城跡
うすごじょうあと(Usugo Castle Ruins)
【C-AC592】探訪日:2023/4.21
愛知県新城市豊栄
【MAP】
〔駐車場所〕
1505(永正2)年、奥平家臣の佐宗大膳重之によって築かれ、城主となる。その跡を継いだ子の佐宗勝重のとき、1545(天文14)年には新城古城の菅沼定継に攻め滅ばされるが、1556(弘治2)年の雨山合戦で定継が敗死すると、奥平貞能が臼子城を取り戻し、勝重の子である重昌を城代とした。
1575(天正3)年、奥平貞能の跡を継いだ貞昌が徳川家康の命によって対武田の最前衛となる長篠城主となると、臼子城には佐宗重昌に替わって奥平一族の軍略家でもある奥平久嘉(休可)を城代として入れた。なお、休可と城代を替わった佐宗重昌はこの年の長篠設楽原の戦いで徳川軍に属し、武田の武将・馬場美濃守を討取る戦功をあげている。
1590(天正18)年、徳川家康の関東移封に奥平氏も従ったことで、臼子城も廃城となった。奥平休可はこの地に土着し、その子孫は当地にて明治を迎えている。
城は標高130m,比高15mの独立丘陵に築かれ、東から櫓台,主郭,一段低い副郭が並ぶシンプルな縄張で、櫓台は現在墓地として使われている。腰曲輪,土塁,堀切などはみられないが、主郭には石組みを施した井戸跡が残されている。