馬越長火塚古墳
まごしながひづかこふん(Magoshinagahizuka-Kofun Tumulus)
【K-AC203】探訪日:2023/2.12
愛知県豊橋市石巻本町紺屋谷
【MAP】
〔駐車場所〕
6世紀末葉に築造されたとみられる全長70ⅿの東三河最大級の前方後円墳である。隣接する大塚南古墳,口明塚南古墳と合わせ、「馬越長火塚古墳群」として国史跡に指定されている。後円部の南側には横穴式石室があり、全長は埋蔵保存されている前庭部分を含めて17.5mほどである。立柱で区分された羨道,前室,玄室の3室構造で、縦断面形が弧状を呈する天井や奥壁の1枚石(鏡石)など、三河地方の大型横穴式石室の典型的例である。石室の石材が失われている箇所があり、吉田城に使用されたという噂がある。また、太平洋戦争中の1944(昭和19)年には、石室が陸軍の弾薬庫として改装されたが、終戦まで火薬庫として使用されたことはなかった。
特徴として前方部が低平なのに対し後円部がひときわ高い。このような形態の古墳の代表例には奈良県橿原市の丸山古墳(見瀬丸山古墳)があり、2012(平成24)年時点、西日本で7基ほどしか確認されていない。
また、多くの出土遺物が確認されており、金銅装馬具とガラス製トンボ玉などの玉類が特に多く出土している。金銅装馬具の中でも「棘葉形杏葉」の評価は高く、ヤマト政権が各地方の最高位の人物に下賜したというもので優美な忍冬唐草文が表現されている。さらには最初期の国産品と評価され、倭国の金工技術の発展を知るうえで重要な資料でもある。古墳の規模と出土遺物から穂国造(東三河を支配した国造)の墓に比定されている。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(2016年3月1日指定) 【国 宝】 【国重文】馬越長火塚古墳出土遺物311点 |
関連時代 | 古墳時代:後期 |
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関連年号 | 6世紀末葉 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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馬越長火塚古墳石室展開図(左)と出土した棘葉形杏葉(金銅装馬具)(Wikipedia及び文化遺産オンラインより)