一宮砦跡
いちのみやとりであと(Ichinomiya Fort Ruins)
【C-AC562】探訪日:2023/2.12
愛知県豊川市一宮町宮前
【MAP】
〔駐車場所〕
1562(永禄5)年、松平元康(徳川家康)が家臣の本多百助信俊に命じて築かせた砦で、信俊に兵500を授けて守らせた。桶狭間の戦い後も今川氏は東三河に勢力を維持し、同年9月には今川氏真が自ら出陣して牛久保城に本陣を置き、八幡砦や佐脇砦に軍勢を展開して元康軍と激しく戦った。1563(永禄6)年、氏真は15,000の兵(異説あり)を繰り出し、一宮砦を包囲した。これに対し、元康は2,000の兵で駆け付け、砦の危機を救い、翌朝には岡崎城に帰ったと伝えられている。これは、「神君後詰の戦い(一宮の後詰)」といわれ、家康の武勇談の一つとなっている。その後、今川氏真は駿河に引き上げ、元康は牛久保城を攻め落としている。家康の遠江侵攻後の1568(永禄11)年、信俊は遠江国佐久城へ移っている。
砦跡は砥鹿神社から南へ約200mほどの豊川を臨む段丘端に位置し、主郭の桝形虎口,堀,土塁が残されている。