佐久城跡
さくじょうあと (Saku Castle Ruins)
【C-SZ040】 探訪日:2016/5/5
静岡県浜松市北区三ヶ日町大崎322
【MAP】
〔駐車場所〕
1348(貞和4/正平3)年、源頼政の末裔である浜名清政によって浜名湖に隣接する猪鼻湖に半島状に突き出したところに築かれた水城である。浜名氏が十代にわたって本拠とした。南北朝時代には北朝に属して一時この地を追われ伊勢国,美濃国へ逃れていたが、北朝の勢力が回復すると再びこの地へ戻ったという。
今川義元が桶狭間の戦いに倒れると、1568(永禄11)年、徳川家康は遠江侵攻を企て、浜名頼広に対し今川方から徳川方への寝返りを勧めたが、頼広は応じなかった。そして、家康が浜松に侵入したことを知った頼広は、身の危険を感じ家臣数人を連れて甲斐武田氏を頼って落ちていった。主将を失った佐久城では、一族の長老大屋政頼が大将となって徳川軍を迎え撃とうとしたが、翌年になって徳川軍からの降伏勧告を受け入れ、佐久城を開き城から退去し、ここに浜名氏は滅亡した。
その後は本多忠勝らが入り改修して湖北の本坂道(姫街道)を抑える重要拠点として使われたが、1583(天正11)年に城主の本多信俊が野地城を築いて移ったことで廃城となった。
現在城址には主郭,馬出,堀などの遺構を確認することができる。
【史跡規模】 |
【指 定】浜松市指定史跡 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1348年 | 1569年・1583年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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浜名清政 | G112 | 浜名頼広 | G112 | 本多忠勝 | F504 |
本多信俊 | F531 |
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▲見取り図
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▲馬出郭跡
▲土橋
▲堀切
▲虎口跡
▲虎口跡
▲本郭跡
▲本郭跡
▲城址碑
▲城址碑
▲井戸跡
▲井戸跡
▲館跡と搦手跡
▲雑兵長家跡
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▲南郭跡