井伊共保墓所
いいともやす ぼしょ(Grave of Tomoyasu Ii)
【K-SZ028】探訪日:2023/2.4
静岡県浜松市北区引佐町渋川3438
【MAP】
〔駐車場所〕
1093(寛治7)年8月15日に84歳で没した遠江国司・井伊共保の墓所とされる。そばには「渋川城跡」の札が立つ。なお、共保の墓所は龍潭寺にもある(井伊家歴代墓所)。100mほど北には井伊直之ほか井伊氏一族の墓所がある。
共保は遠江守・藤原共資の養子(共資の一女と婚した)となり井伊氏初代当主となった。出生には謎が多く、1010(寛弘7)年正月元旦、遠江国井伊谷の八幡宮神主が御手洗の井(伝井伊共保出生の井)の傍らに男児の捨て子を見つけ、成長すると顔立ちは端麗、聡明で神童と称されたという。その噂を聞きつけた藤原共資が養子に迎え家督を継がせた。また別説として、延喜年間(901~923年)に奈良より荘司として着任した三宅好用が井伊谷に居を構え、それより3代目の井端谷篤茂の娘が共資に嫁し、共保はその実子として生誕したとも伝えられる(三宅氏の家紋も井伊氏と同じく橘)。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:後期 |
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関連年号 | 1093年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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井伊共保 | F441 | 藤原共資 | F430 | 井端谷篤茂 | MY** |
共保の捨て子説は「捨て子はよく育つ」という迷信から、いったん捨てて、すぐ拾う形式的なもので、藤原共資の実子とも考えられる。龍潭寺の墓所との関係は定かではないが、井伊家初代の墓地としては荒れ放題である(2017年頃のネット写真では宝篋印塔の形を成していたが)。