山崎砦跡
やまざきとりであと(Yamazaki Fort Ruins)
【C-AC545】探訪日:2022/11.7
愛知県名古屋市南区岩戸町7ー19
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、織田信秀が死去した1552(天文21)年頃、山崎城の佐久間信盛によって築かれた砦である。織田信秀が亡くなると、それまで織田方に所属していた鳴海城の山口継教は今川方に寝返り、沓掛城の近藤景春や戸部城の戸部政直などの尾張南部の豪族と共に、山口氏が治める城の大半が今川方に付いた。佐久間信盛は今川方となった戸部城や桜中村城に対して、山崎城の南西400mのにある丘に砦を築き、その備えとした。
桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、後に織田信長と徳川家康との間に清洲同盟が結ばれると、砦としての役目を終えて廃城となり、その跡地に1571(元亀2)年、白毫寺が創建された。砦跡の遺構はほとんど残されていない。
なお、この砦の下は、かつて『年魚市潟』(あゆちがた)と呼ばれる遠浅の海であり、この「あゆち」が転化して現在の「愛知」となっている。