桜中村城跡

さくらなかむらじょうあと (Sakuranakamura Castle Ruins)

【C-AC526】探訪日:2022/10.19

【C-AC526】桜中村城跡 愛知県名古屋市南区元桜田町2丁目

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、戦国時代中頃に山口太郎左衛門教房によって築かれた。教房は寺部城主・山口盛重と従兄弟同士である。当時、この地域は天白川河口に位置する島であった。
 山口氏は当初、織田信秀に属し、小豆坂の戦いでは今川義元配下の軍勢と戦って戦功を挙げている。また、信秀と義元を仲介して両者を一時的に和睦に導いており、信秀に重用され、三河との国境の要地である鳴海城を任され尾張南東部の備えとなっていた。しかし、信秀の死後、信長の代になると、織田氏から離反して今川氏に寝返った。鳴海城主となった山口教継は、桜中村城の子・教吉に鳴海城を守らせ、戸部城を修復して今川勢の岡部元信らを配し、自らは桜中村城に立て籠もった。織田信長は、1552(天文21)年、800の軍を発して1500の山口教吉の軍勢と赤塚で合戦となったが勝敗は付かず、元々は味方同士で顔見知りの間柄だったこともあり、敵陣に逃げ込んだ馬はお互いに返し合い、生け捕りになった者も交換して帰陣した。
 なお、教継,教吉父子は、1560(永禄3)年、「信長と通じた」という信長の調略に掛り、今川義元に駿河へ呼び寄せられ切腹させられた。似たような経緯で戸部城主の戸部政直も死に追いやられており、教継と同一人物とする見方もある。
 城跡は桜公園辺りとされるが、遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1552年・1560年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山口教房 OU10 山口教継 OU10 山口教吉 OU10
岡部元信 F010 織田信長 OD04 今川義元 G361

 

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