ハミ塚古墳
はみつかこふん(Hamitsuka-Kofun Tumulus)
【K-NR184】探訪日:2022/10.29
奈良県天理市岩屋町字ハミツカ
【MAP】
〔駐車場所〕
名阪国道の側道工事や農道拡幅工事により墳丘と羨道が破壊されているが、東西46.7m,南北推定44.1mの方墳で、墳丘は2段で築成された可能性が高い。もとは南側の傾斜面以外に周濠をコの字に掘削していたことも確認されている。
埋葬主体は巨石によって構築された横穴式石室で、工事以前にすでに盗掘などにより破壊を受け、天井石は残存せず、玄室1段目の奥壁と側石,羨道部奥の石材が残存した状態で、内部にあった家型石棺も大きく破壊されていた。石室長は12m、玄室長は5.70m、奥壁幅2.92mであった。石同士の合わせ目が直線的で、石材が大型であることから大和主系列(ウワナリ塚古墳,赤坂天王山古墳,藤ノ木古墳,石舞台古墳など)に属する古墳の1つである可能性が高い。家型石棺は破壊されていたものの全体の形態をある程度復元することができ、石棺蓋部分は長さ270cm,幅138cm,高さ58cm、棺身は長さ210cm,幅80cm,深さ推定51cmであることがわかっている。
出土遺物は、金属製品としては鉄製捩り環,刀装具,両頭金具(弓金具),馬具(吊金具・雲珠),金銅製筒状金具,耳輪,小刀,鉄鏃,鉄滓があり、鉄鏃以外は破片である。土器類として須恵器が出土しており、坏蓋,坏身,高坏蓋,有蓋高坏,大型有蓋高坏など数十個体分の破片が出土している。これらの遺物は古墳時代後期の6世紀末から7世紀初め頃と推定されるものである。
被葬者として、和爾周辺に本拠を置き、また歴代の大王へ多くの后妃を出し、蘇我氏が台頭するまで朝廷でも大きな勢力を持っていた和珥氏一族が有力な候補である。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:後期 |
---|---|
関連年号 | 6世紀末頃 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
和邇氏 | WN01 |