赤坂天王山古墳

あかさかてんのうざんこふん(Akasakatennozan-Kofun Tumulus)

【K-NR061】探訪日:2017/9.3・2022/7.2

【K-NR061】赤坂天王山古墳 奈良県桜井市倉橋2846

【MAP】

〔駐車場所〕駐車場はないが、東側道路には路駐できるスペースはある。

【K-NR061】赤坂天王山古墳

   赤坂天王山古墳群を構成する古墳の1つで、多武峰から北西に延びる尾根の先端に築かれた大方墳。墳丘は3段築成で墳形は方形であるが、北辺約50.5m,南辺約43.2m,東辺約46.5m,西辺約47mと、北から南にすぼまる形をしている。頂上部は一辺10m前後の平坦地となっている。各段の斜面には葺き石が施されているが、埴輪は知られていない。
 主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室である。全長15.3m以上、玄室は幅約3~3.2m,高さ4.2m以上、奥壁は高さ2mを超える巨石とさらに1m前後の巨石2枚を用いた三段積になっている。左右の壁も三段積みを基本に、その隙間に小石を入れている。羨道は長さ8.5m,幅1.8m,高さ約2mである。玄室中央には二上山産の白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が主軸に平行に置かれている。長さ約2.4m,幅約1.7m,高さ1.1mあって、蓋には前後一対、長側面に二対に縄架け突起が屋根の斜面の上部に水平につけられている。石室は早くから開口しており、石棺内部は盗掘によって遺物も残されていないが、石室構造や石棺の形式などから築造時期は6世紀末から7世紀初頭とみられている。
 なお、本古墳は第32代・崇峻天皇の真陵に比定する説がある。『日本書紀』に崇峻天皇は暗殺された後に倉橋の地に葬られたと記されており、この地域で造られた古墳で該当するものは赤坂天王山古墳以外には見あたらないため、明治時代に現在の倉梯岡上陵に治定されるまでは、本古墳が崇峻天皇陵に擬せられていた。歴史学者,考古学者の間ではいまなお本古墳が崇峻天皇陵として有力視されている。
 また、周辺墳墓には1号墳(本古墳)の西に赤坂天王山2号墳、北に赤坂天王山3号墳がある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1954年12月25日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 古墳時代:後期
関連年号 6世紀末~7世紀初頭
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
崇峻天皇 K302

 

【K-NR061】赤坂天王山古墳
  

 

【K-NR061】赤坂天王山古墳

【K-NR061】赤坂天王山古墳 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【K-NR061】赤坂天王山古墳

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【K-NR061】赤坂天王山古墳

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▲【Wikipediaより転載】羨道(玄室方向)

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▲【Wikipediaより転載】刳抜式家形石棺

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▲【Wikipediaより転載】羨道(開口部方向)

【K-NR061】赤坂天王山古墳

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▲墳頂部

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▲墳頂部

【K-NR061】赤坂天王山古墳

【K-NR061】赤坂天王山古墳

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▲【Wikipediaより転載】2号墳

【K-NR061】赤坂天王山古墳

▲【Wikipediaより転載】2号墳 石室開口部

【K-NR061】赤坂天王山古墳

▲3号墳

【K-NR061】赤坂天王山古墳

▲【Wikipediaより転載】3号墳 石室玄室