鳥栖城跡

とりすじょうあと (Torisu Castle Ruins)

【C-AC524】探訪日:2022/10.19

【C-AC524】鳥栖城跡 愛知県名古屋市南区鳥栖2丁目15ー22

【MAP】

〔駐車場所〕

   応仁年間(1467〜68年)に成田縫之助時重によって築かれたとされる。築城当時は、取隅城と呼ばれた。
室町時代末期には成田義次が城主となり、寺部城,市場城を中心に勢力を誇る山口盛重の娘を娶り、山口氏の配下となった。織田信秀が死去すると、鳴海城主の山口教継は今川氏へと寝返り、成田氏もこれに従った。教継は鳴海城へ息子・教吉を置き、戸部城を修復して今川方の岡部元信らを入れて、自らは桜中村城へ籠った。信秀の跡を継いだ織田信長は、1552(天文21)年、これに対し800の軍を発して1500の山口教吉の軍勢と赤塚で合戦となった(信長が当主となって最初の戦闘)。このとき成田六介弥六,成田助四郎は山口勢の先陣を務めている。しかし勝敗は付かず、元々は味方同士で顔見知りの間柄だったため、敵陣に逃げ込んだ馬はお互いに返し合い、生け捕りになった者も交換して帰陣した。
 1559(永禄2)年、桶狭間の戦いの前年、背景は不明であるが、鳥栖城は廃城となっている。
 成道寺の寺伝によれば、安永年間(1772~80年)の初め頃、尾張藩士となっていた成田甚右衛門は尾張藩に禄を返上して帰農したという。1774(安永3)年には、城跡に成道寺が建立された。境内には城主夫妻の供養塔が残されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:中期
関連年号 1467〜68年 1552年・1559年 1774年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
成田時重 **** 成田義次 **** 山口盛重 OU10
山口教継 OU10 山口教吉 OU10 岡部元信 F010
織田信長 OD04 成田六介弥六 **** 成田助四郎 ****
成田甚右衛門 ****

 

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成田城主夫婦地蔵