天平応真仁正皇太后佐保山東陵
てんぴょうおうしんにんしょうこうたいごう さほやまのひがしのみささぎ(Sahoyama-higashi Mausoleum of Empress Dowager Tenpyooshinninsho)
【K-NR063】探訪日:2018/10.21
奈良県奈良市法蓮町
【MAP】
〔駐車場所〕
760(天平宝字4)年7月23日、60歳で亡くなった第45代・聖武天皇の天平応真仁正皇太后(通称、光明子,光明皇后)の陵である。聖武天皇陵の東に位置する。729(天平元)年、皇族以外から立后する先例を開いた。 光明皇后は仏教に篤く帰依し、東大寺および国分寺の設立を夫の聖武天皇に進言したと伝えられるほか、両親の藤原不比等と県犬養橘三千代を供養するために一切経を発願した。また、救貧施設の悲田院,医療施設である施薬院を設置して慈善を行った。夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、その宝物を収めるために正倉院が創設された。さらに、興福寺,法華寺,新薬師寺など多くの寺院の創建や整備にも関わった。
【史跡規模】
【指 定】
【国 宝】
【国重文】
※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)