法華寺
ほっけじ (Hokke-ji Temple)
【T-NR027】探訪日:1990/11/3・2018/10/3
奈良県奈良市法華寺町882 <📲:0742-33-2261>
【MAP】
〔駐車場所〕
745(天平17)年5月、藤原不比等の邸宅を不比等の没後、娘の光明子(聖武天皇皇后)が相続して皇后宮を宮寺としたのが始まりである。
741(天平13)年2月、聖武天皇により国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられ、法華寺はこの詔に基づいて建立整備された国分尼寺である。ただ、伽藍の完成までには相当の歳月を要したとみられる。法華寺造営のための役所であった造法華寺司は782(延暦元)年まで継続している。
発掘調査の結果では、南北3町,東西2町に及んでいたことがわかっており、創建当初の金堂や講堂は、現在の法華寺南門のさらに南に位置し、金堂の南に中門、その南には東西両塔があったことが判明している。さらに境内南西部には阿弥陀浄土院があった。
平安京遷都以後は次第に衰微し、1180(治承4)年の平重衡の兵火では法華寺も被害を受けたという。
1203(建仁3)年、僧・重源によって堂宇や仏像が再興された。現在も寺に残る鎌倉時代様式の木造仏頭は、この再興時の本尊廬舎那仏の頭部であると推定されている。さらに、その半世紀後、僧・叡尊によって本格的な復興がなされた。
1499(明応8)年12月と1506(永正3)年7月には、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣・赤沢朝経によって二度にわたり焼き討ちされ、1596(文禄5)年には慶長伏見地震に遭い、最終的には東塔以外の建物を失ってしまった。
現在の本堂,南門は1601(慶長6)年に豊臣秀頼と母の淀殿によって再建され、鐘楼も翌年に復興したものである。本堂は寄棟造、本瓦葺きで正面7間,側面4間。堂内厨子に本尊の十一面観音像を安置する。横笛堂は『平家物語』で知られるヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物で、横笛が手紙の反故で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像が安置されていたが、現在は本堂に移されている。室町時代以前に建てられ、当寺で現存する最も古い建物である。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(法華寺旧境内:2001年1月29日指定) |
関連時代 | 奈良時代 | 平安時代:後期 | 鎌倉時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
関連年号 | 745年 | 1180年 | 1203年 | 1499年・1506年 | 1601年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
藤原不比等 | F001 | 光明皇后 | F001 | 聖武天皇 | K308 |
重源 | **** | 叡尊 | **** | 赤沢朝経 | **** |
豊臣秀頼 | ZZ01 | 淀殿 | F526 | 横笛 | **** |
法華寺配置図(現地説明板より)と国宝・十一面観音立像
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲赤門
▲赤門
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▲南門
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▲鐘楼(鐘楼堂)
▲護摩堂
▲横笛堂
▲からふろ(浴室)
▲薬師堂
▲薬師堂