聖武天皇佐保山南陵(法蓮北畑古墳)
しょうむてんのう さほやまのみなみのみささぎ(ほうれんきたばたけこふん)
(Sahoyama-minami Mausoleum of Emperor Shomu [Horenkitabatake-Kofun Tumulus])
【K-NR062】探訪日:2018/10.3・10.21
奈良県奈良市法蓮町1224
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により756(天平勝宝8)年6月4日に崩御した第45代・聖武天皇の陵に治定されている。宮内庁上の形式は山形。遺跡名は法蓮北畑古墳。東には光明皇后が埋葬されている佐保山東陵がある。
聖武天皇の治世の初期は、皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当した。長屋王の変で王が自害すると、藤原氏の光明子は非皇族として初めて立后された。737(天平9)年に天然痘の大流行で藤原四兄弟を始めとする政府高官のほとんどが病死するという惨事に見舞われ、また、740(天平12)年には藤原広嗣の乱が起こっている。災害や疫病が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、741(天平13)年には国分寺建立の詔を、743(天平15)年には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出している。749(天平勝宝元)年には娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位した。
752(天平勝宝4)年4月9日、東大寺大仏の開眼法要を行い、752(天平勝宝6)年には来日した唐僧・鑑真と会っている。756(天平勝宝8)年、崩御。宝算56。