纒向石塚古墳
まきむくいしづかこふん(Makimuku Ishizuka-Kofun Tumulus)
【K-NR154】探訪日:2022/9.11
奈良県桜井市太田253ー1
【MAP】
〔駐車場所〕 纒向勝山古墳の南に小さな駐車場がある(2台駐車可)。
大和古墳群(オオヤマト古墳集団)のうち纒向古墳群に属する古墳時代前期初頭の前方後円墳である。纏向遺跡内では最古の可能性があり、前方後円墳成立期の古墳として注目されている。築造時期については、3世紀の初頭,前半、または中頃という3つの説がある。全長は約96m、前方部は長さ約32m,幅約34mで三味線の撥状に開いており、後円部径は約64m(主丘部東西59m,南北45m)の不整形円形である。くびれ部幅は15~16m、周濠幅約20m。葺石や埴輪は認められない。埋葬施設は明らかではないが、墳頂部が太平洋戦争末期に削平された(高射砲か対空機銃の砲台基礎を造った)際に埋葬施設の検出や遺物出土がなかったことから、後円部の埋葬、あるいはさらに深層部の埋葬と考えられる。
周濠からの出土遺物には弥生時代後期最終末期から古墳時代初頭の土器がある。その他、弧紋円盤(吉備系の祭祀用遺物),朱塗鶏形木製品,木製鋤・鍬,横槌,水槽,建築部材などの木製品や土師器が出土している。