雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地(白山神社)
ゆうりゃくてんのう はつせのあさくらのみや でんしょうち(しろやまじんじゃ)
(Hatsuse-asakura Palace Traditional Ruins of Emperor Yuryaku [Shiroyama Shrine])
【P-NR018】探訪日:2022/7/2
奈良県桜井市黒崎
【MAP】
〔駐車場所〕
桜井市黒崎の白山神社は第21代・雄略天皇が営んだ宮殿伝承地のひとつに挙げられている。このほか、同じ黒崎地区の「天の森」【P-NR019】,磐坂谷の十二神社【P-NR020】、そして1984(昭和59)年に発見された脇本遺跡【P-NR017】があり、考古学的見地からは脇本遺跡が朝倉宮の有力な候補地とされている。
457?(安康天皇3)年8月、父である安康天皇が眉輪王に暗殺されると、大泊瀬皇子(のちの雄略天皇)は眉輪王,兄弟,従兄弟を次々と殺害し、11月に帝位に就いた。即位後もこれまで権勢を振るってきた葛城氏や最大の地域豪族であった吉備氏を滅ぼし、専制政治を行った。軍事面,外交面では手腕を振るったが、やはり気性の激しい暴君的な所業が多く見られ、『日本書紀』には「大悪天皇」と誹謗されている。また、『宋書』等に記された5世紀末の倭王「武」を雄略天皇に比定する説が強い。
即位23年8月に病のため崩御した。『古事記』では享年124歳とされる。陵は丹比高鷲原陵。宮内庁により大阪府羽曳野市島泉の島泉丸山古墳(高鷲丸山古墳),島泉平塚古墳(高鷲平塚古墳)に治定されている。