西方院
さいほういん (Saiho-in Temple)
【T-OS009】探訪日:2017/9/24
大阪府南河内郡太子町太子1663
【MAP】
〔駐車場所〕
『河内名所図会』等に見える伝承によれば、622年に厩戸皇子が死去した後に出家した三人の侍女、善信(俗名月益:蘇我馬子の娘)・禅蔵(俗名日益:小野妹子の娘)・恵善(俗名玉照:物部守屋の娘)により、厩戸皇子廟所がある叡福寺の門前にその塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、厩戸皇子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わる。以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘、恵善尼は錦織壺の娘で、出家したのは584年であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺である。
1639(寛永16)年、衰退し荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、名称は西方院と改められた。