厩戸皇子廟所〔叡福寺〕
うまやどおうじ びょうしょ〔えいふくじ〕(Mausoleum of Prince Umayado [in Eifuku-ji Temple])
【K-OS003】探訪日:2017/9.24
大阪府南河内郡太子町太子
【MAP】
〔駐車場所〕
厩戸皇子(後世、聖徳太子)は622年2月22日に薨去され、御遺体は生前に定められていたこの地に埋葬され、皇子の菩提を弔うために叡福寺が建立されたと伝わる。考古学上は叡福寺北古墳と呼ばれ、その直径は50m前後、高さ7mから成る巨大な円墳。南に面して横穴式石室が築かれており、石室の入口部分には唐破風の屋根を持った御霊屋が覆っている。石室内には皇子のほかにも母の穴穂部間人皇女と妻の膳部臣菩岐々美郎女が埋葬されている。
後世、太子信仰が盛んになると、3基の棺は阿弥陀三尊の形式と結びつけられ、御廟所は「三骨一廟」という呼び名で篤く信仰された。一重目の屋根の下には木彫りの阿弥陀三尊が掲げられている。