石黒重行,重成墓所〔瑞應寺〕
いしぐろしげゆき,しげなり ぼしょ〔ずいおうじ〕(Graves of Shigeyuki and Shigenari Ishiguro [in Zuio-ji Temple])
【K-AC050】探訪日:2016/5/15
愛知県名古屋市北区如意2丁目73
【MAP】
〔駐車場所〕
南北朝の戦いに敗れ如意の里で1437(永享9)年に88歳で亡くなった石黒重行と、その8代目で瑞應寺を中興し1616(元和2)年に78歳で亡くなった石黒重成の墓所である。
石黒重行は越中国の豪族で木舟城主であったが、南朝に仕え足利氏と戦って敗れ、一時奥州へと逃れたのち、ここ如意の里へに隠れ住み、母方の長谷川姓を名乗った。後に尾張守護の斯波氏に属して如意,味鋺の領主となり如意城を築いた。また、信仰に篤く瑞龍寺(のちの瑞應寺)の七堂伽藍を造営した。
重行から8代目の石黒重成は、戦国時代に衰退していた瑞龍寺の再興に尽力し七堂伽藍を再建するとともに、1575(天正3)年には寺号を瑞應寺と改め臨済宗妙心寺派とした。その後、重成は1584(天正12)年の小牧長久手の戦いで織田・徳川方に加わり、小牧から長久手に向かう家康の道案内役を果たした。子孫は尾張徳川家の家臣として仕えている。