瑞應寺
ずいおうじ (Zuio-ji Temple)
【T-AC062】探訪日:2016/5/15
愛知県名古屋市北区如意2丁目 <📲:052-901-2938>
【MAP】
〔駐車場所〕
鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて修行を積んだ夢窓疎石(夢窓国師)が開基となり創建されたという(当時の寺号は瑞龍寺)。
越中国の豪族であったが南北朝の騒乱に敗れ、この地に隠れ住んだ室町時代の如意城主・石黒重行とその一族,子孫(母方の長谷川姓を名乗っている)に所縁のある寺であり、山門右前には重行を顕彰する石碑が建てられている。
戦国時代に入って寺が衰退すると、重行から8代目の石黒重成が田畑二町歩を寄進し七堂伽藍を再建し、中興開祖となった。1575(天正3)年には寺号を瑞龍寺から瑞應寺と改め、臨済宗妙心寺派となった。その後、重成は武功をあげ、子孫は尾張徳川家の家臣として仕えている。境内には石黒重成とその妻の墓が残る。
山門を潜ると長い参道の奥には本堂と右側には鐘撞堂がある。また、小高い丘上には1765(明和2)年に安置されたという不動明王像が立っている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1575年 |
1765年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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夢窓疎石 | **** | 石黒重行 | **** | 石黒重成 | **** |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲門前
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▲石黒重行の蹟
▲参道
▲参道
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▲石黒重成(左)と妻の墓
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▲鐘撞堂
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▲不動明王像