本光寺
ほんこうじ (Honko-ji Temple)
【T-AC013】探訪日:2013/5/3・2021/12/16
愛知県額田郡幸田町深溝字 内山17 <📲:0564-62-1626>
【MAP】
〔駐車場所〕
1523(大永3)年に深溝松平家の初代当主・松平忠定によって開基された深溝松平家の菩提寺である。希聲英音によって大洞山泉龍院の末寺として開山されたとされるが、実質の開山は2代目の華宗英香である(禅宗でしばしば行われる勧請開山となっている)。本尊は釈迦如来像、脇士の地蔵菩薩像と千手観音像は運慶作と伝わるが、定かではない。
五井城主の五井松平家2代・松平長勝(元心)は安祥城主で松平宗家5代・松平長親の命により深溝城主・大場二郎左衛門景紀を攻め滅ぼしたが、まだ所領をもたなかった弟の忠定の手柄として長親に上申し、深溝城を忠定に譲った(深溝松平家の祖となる)。
当初、本光寺は現在地の西方約1Kmの字向野にあったとされ、いつ現在地に遷ったのか定かではないが、1612(慶長17)年、松平忠利が三河吉田に転封されたのに伴い、本光寺は瑞渓山源光寺と改称された。6代・忠房は1669(寛文9)年に肥前国島原に転封となり、1673(寛文13)年、源光寺を本光寺に改称するとともに、別に島原に建立した本光寺の末寺と定めた。
西御廟所には、戦国時代に深溝松平家の基礎を築いた初代・忠定から5代・忠利までと松平好房および11代・松平忠恕の墓があり、東御廟所には、島原藩主となった6代・松平忠房から19代・松平忠諒の墓が並んでいる(深溝松平氏墓所)。
また、西廟所の一角には1672(寛文12)年に築造された石碑を甲羅に乗せた「願掛け亀」があり、この願掛け亀の首の窪に賽銭を投げ入れ、うまく賽銭が入ると願い事が叶うといわれている。
また、本光寺は三河地区の「あじさい寺」としても有名である。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1523年 |
1612年・1673年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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松平忠定 | MT09 | 希聲英音 | **** | 華宗英香 | **** |
松平忠利 | MT10 | 松平忠房 | MT11 |
2021年12月の2回目の訪問は1回目に撮り損ねた本堂の写真を撮り直そうと出かけたが、生憎、本堂は改修工事中(~2022年2月末)で足場が組まれシートに覆われていた。また、鐘楼も見当たらない。写真ギャラリーには2016年に撮影した唯一の本堂写真と鐘楼の写真を載せている。また、下の境内案内図が工事現場に描かれていたものに加筆した。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲駐車場にある説明板
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▲鐘楼(2013年5月撮影)
▲本堂(2013年5月撮影)
▲肖影堂
▲願掛け亀
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