久松松平家葬地〔洞雲院〕
ひさまつまつだいらけ ぼしょ (Graves of the Hisamatsu-Matsudaira Family[in Doun-in Temple])
【K-AC187】探訪日:2007/8/25・2012/8/31・2014/8/19
愛知県知多郡阿久比町卯坂英比67
【MAP】
〔駐車場所〕
洞雲院境内墓地には久松,松平家の13基の墓があるが、この葬地には5人が眠る。久松定益(1510年没)は坂部城を築いた人物、その子・久松定義(1532年没)は存命中の肖像画が洞雲院に残されている。久松俊勝(1587年没)は定義の子で、於大の方が再嫁している。1561(永禄4)年には城代として岡崎城に入った。
於大の方(1602年没)は水野家から岡崎城主の松平広忠に嫁ぎ、竹千代(徳川家康)を産んだが、兄・水野信元が松平氏(今川氏)と絶縁し織田氏に従ったため広忠から離縁され、のちに久松俊勝に再嫁した。家康の滞在する伏見城で死去した。
松平定綱(1651年没)は俊勝,於大の方の孫にあたる。桑名城主となり、子孫には松平定信がいる。
【史跡規模】 |
【指 定】阿久比町指定史跡(1982年3月指定) |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:前期 |
---|---|---|---|
関連年号 | 1510年・1532年・1587年 | 1602年 | 1651年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
久松定益 | SW07 | 久松定義 | SW07 | 久松俊勝 | SW07 |
於大の方 | G606 | 松平定綱 | MT45 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲
▲
▲右から久松俊勝,於大の方,松平定勝の墓
▲右から久松定益,久松定義の墓
▲久松定益(右),定義の墓
▲久松俊勝の墓
▲於大の方の墓
▲松平定綱の墓
▲洞雲院山門
▲洞雲院本堂