東条吉良家墓所〔花岳寺〕
とうじょうきらけ ぼしょ〔かがくじ〕(Graves of the Tojo-Kira Family [in Kagaku-ji Temple])
【K-AC019】探訪日:2014/6/14・2021/10/16
愛知県西尾市吉良町岡山山王山67
【MAP】
〔駐車場所〕華蔵寺前および花岳寺に駐車場がある。
1347(正平2/貞和3)年に西尾実相寺から入寺し花岳寺を開山した佛海禅師と、西尾(西条)城主・吉良満義、その子で東条吉良家の祖である吉良尊義および東条城8代城主の吉良持広の墓所である。
佛海禅師は一峯明一禅師と称し京都東福寺,西尾実相寺で住持した。
吉良満義は元弘の乱で倒幕の兵を挙げた足利尊氏に従い、京都の六波羅探題攻撃に参加。倒幕後に建武の新政が開始されると、足利直義に従い関東に下向した。観応の擾乱では終始直義側に立ち、尊氏から「吉良荘の凶徒」と呼ばれた。1356(正平11/延文元)年に死去。
満義が没すると、東条の被官層は9歳の尊義を奉じて尊氏派に転じ、新たに東条吉良氏として独立した。尊義は塔頭霊源寺を開基している。没年は不明。
東条城主の吉良持広は松平氏との関係を深め、1535(天文4)年の守山崩れの際には、松平広忠を保護し岡崎城復帰を実現させている。広忠は彼の偏諱を受けたとされる。1539(天文8)年に死去。
なお、東条吉良氏は、桶狭間の戦い後に今川氏から独立し三河統一を進める松平元康(のちの徳川家康)と戦うこととなる。