西尾城(西条城)跡
にしおじょう(さいじょうじょう)あと (Nishio[Saijo] Castle Ruins)
【C-AC022】探訪日:1989/6/3
愛知県西尾市錦城町231
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1221(承久3)年、承久の変後、足利義氏が三河国の守護となり、当時の矢作川西側を吉良荘西条として西条城(西尾城)を、東側を吉良荘東条として東条城を構え、それぞれに長男・長氏、三男・義継を置き、吉良荘を分けて治めさせた。創建当時,中世期の規模については不明である。
戦国時代に入り、桶狭間合戦での今川義元の討死により今川氏から独立した松平元康が1561(永禄4)年に攻め取り、酒井正親を城主として置いた。
1585(天正13)年、徳川家康の命により酒井重忠によって、東之丸と帯曲輪の拡張と堀や石塁の造成、櫓門,櫓類などが増築され、二之丸に天守が築かれる(二之丸の天守は西尾城の特徴)。
1590(天正18)年には重忠が徳川家康の関東移封に従うと、近江国より転封し岡崎城主となった田中吉政が西尾城主も兼ね、三之丸の拡張や大手黒門,新門の楼門2棟,櫓門2棟が建てられている。このとき東之丸にあった大手門は、太鼓門と改称されている。
1601(慶長6)年、本多康俊が2万石で初代西尾藩主として入城し、以降、松平成重,本多俊次,太田資宗が続く。1657(明暦3)年には井伊直好が総構えを完成させた。以降の藩主は増山氏2代、土井氏4代、三浦氏2代と続く。
1764(明和元)年、出羽国山形藩から大給松平乗祐6万石で入封し松平乗秩が最後の藩主となって版籍奉還に至り、1878(明治11)年に廃城となる。
なお、歴史公園内の近衛家の数奇屋棟と茶室棟は1995(平成7)年に移築されたものである。
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▲鍮石門(復元)
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▲二之丸丑寅櫓跡
▲二之丸天守台跡遠景
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▲二之丸天守台跡
▲発掘調査で出土した石
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▲本丸表門跡
▲城址碑
▲御劔八幡宮
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▲本丸丑寅櫓(復元)
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▲水堀
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