羽津城跡
はづじょうあと (Hazu Castle Ruins)
【C-ME095】探訪日:2021/10/6
三重県四日市市羽津山町22-19
【MAP】
〔駐車場所〕公園西側に駐車場がある。
築城年は定かではないが、15世紀後半(1470年説あり)に田原盛宗によって築かれたとされる。田原氏は藤原秀郷を祖とし、もともと上野国赤堀庄に住んでいたが、応永年間(1394~1428年)に赤堀景信が伊勢に移り赤堀城を構えた。景信は、長男の盛宗を羽津城,次男の秀宗を赤堀城、そして3男の忠秀を浜田城に配し、北勢地方で勢力を誇った。
羽津城は、盛宗から近宗(国虎とも)まで6代の居城となったが、田原近宗のとき、織田信長の伊勢侵攻に抗しきれず、1568(永禄11)年に信長の軍門に降った。羽津城は開城され近宗は滝川一益の与力となった。一益は茂福城を攻略し城代として山口次郎四郎を置いたが、山口氏は北伊勢地方の支配基盤をより強固なものにするために、1572(元亀2)年、近宗を茂福城へ誘い出し毒殺し、同時に軍勢を羽津城へ派遣して攻め落とした。同様に浜田城も攻略され、数年を経て赤堀三家は全て滅亡した。羽津城は1584(天正12)年の小牧長久手の戦い後に廃城となったとされる。
城跡は城山公園となり、中央を近鉄名古屋線が通っているが、本丸跡に土塁の痕跡が残されている。また、その規模は西東69m,北南62mと『羽津村指出帳』に記録されている。
【史跡規模】 |
【指 定】四日市市指定史跡(1956年2月18日指定) |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1394~1428年・1470年 | 1568年・1572年・1584年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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田原(羽津)盛宗 | F982 | 赤堀景信 | F982 | 赤堀秀宗 | F982 |
浜田忠秀 | F982 | 田原(羽津)近宗 | F982 | 滝川一益 | KI43 |
山口次郎四郎 | **** |
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▲本丸跡
▲本丸跡
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▲土塁跡
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▲土塁跡
▲土塁跡
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▲中央下を通る近鉄名古屋線
▲本丸跡
▲本丸跡