椎の木屋敷跡
しいのきやしきあと (Shiinoki Residence Ruins)
【R-AC046】探訪日:2021/7/30
愛知県刈谷市銀座6丁目58-1
【MAP】
〔駐車場所〕
刈谷城本丸の東500mほどの高台にある。この高台にはかつて椎の木が生い茂っていたことから椎の木藪とも呼ばれ、この付近一帯の土地を椎の木屋敷と呼んでいた。
水野忠政の娘・於大の方は岡崎城の松平広忠に嫁ぎ、1543(天文12)年に17歳で竹千代(後の徳川家康)を出産した後、兄である水野信元が翌年に今川氏(松平氏は今川方)から織田氏へと鞍替えしたため、後難を恐れた広忠から離縁され刈谷に戻って、この屋敷に一時住んだとされる。この間、於大の方は近隣の楞厳寺をたびたび参拝し、使用の品々を寄進している。
1547(天文17)年、阿久比の久松俊勝との再婚が決まり、椎の木屋敷を離れて坂部城へ移った。
江戸時代には禁足地扱いされ、屋敷の出入口に鍵が掛けられ人足により手入れされた。かつて屋敷も存在し、敷地の中央部には数基の五輪塔があったとされる。
現在は史跡として整備され於大の座像や東屋のある庭園となっている。