龍泉寺城跡
りゅうせんじじょうあと (Ryusenji Castle Ruins)
【C-AC375】探訪日:2021/3/22・2021/7/18
愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目1-902
【MAP】
〔駐車場所〕龍泉寺の大きな石碑がある坂(松洞5号線)を上ると門前に駐車場がある。
1558(永禄元)年3月、織田信長の弟の信行(信勝)によって築かれたとされる。この2年前には、信行は信長に対し謀反を企て稲生原の戦いで敗退している(両者の母・土田御前の執成しで助命)。築城は駿河の今川氏に対する防御のためとも信長に対して備えるためだったとも考えられる。同年中に信行は、尾張上四郡を領する岩倉城主・織田信安と信長の尾張下四郡奪取の密議をこの城で交わしたと伝えられている。しかし、この再謀反は柴田勝家の密告により信長の知るところとなり、清洲城へ仮病を装った信長を見舞いに行った信行は、11月2日にそのまま誘殺されてしまった。
1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの際には、小幡城に入った徳川家康を追って羽柴秀吉が本城へ陣を置き、一夜にして堀を築くという突貫工事を行った(実際は既存の堀の改修とみられる)。しかし、家康が小幡城を引き上げたため秀吉も火を放って退いた。これにより龍泉寺城は廃城となったとされる。
1964(昭和39)年、龍泉寺本堂裏手(北側)に模擬天守が築かれ、龍泉寺の宝物館とされている。その東側の竹林内に空堀跡を見ることができる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 |
戦国時代 |
関連年号 | 1558年・1584年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
織田信行(信勝) | OD09 | 織田信長 | OD04 | 織田信安 | OD02 |
羽柴秀吉 | ZZ01 |
最初に訪れた日はウィークデイであったため模擬天守(宝物館)には入場できず、改めて開館日の日曜日に訪れた。目的は宝物よりも空堀である(結果的に下の回向院から廻り込むことはできたが)。「豊公一夜堀」の碑を見つけたが雑草が鬱蒼と茂っており、碑周辺はどこが堀跡なのかはっきり認識できない。しかし、奥へ進むと大規模な空堀が現れた。ここが一夜堀跡なのか、碑があるところとは規模が全く異なる。手袋などの準備をしていなかったこともあるが、堀底へ降りるには恐怖感を覚えるほどの深さであった(降りる途中で断念)。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲仁王門
▲多宝塔と本堂
▲模擬天守(宝物館)
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▲展望台からの眺望(中央に小牧山城が見える)
▲小牧山城をズーム
▲模擬天守東側下の空堀へ
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▲「豊公一夜堀」の碑
▲空堀跡
▲さらに奥の空堀
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▲墓地から見た城跡
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