土田御前墓所〔四天王寺〕
どたごぜん ぼしょ〔してんのうじ〕(Grave of Dota-gozen[in Shitenno-ji Temple])
【K-ME001】探訪日:1992/3/22・2020/9/30
三重県津市栄町1丁目892
【MAP】
〔駐車場所〕
1594(文禄3)年1月7日に亡くなった織田信秀の継室で信長,信行(信勝),秀孝,信包,於市,於犬の生母・土田御前の墓である。津市の塔世山四天王寺にある。一般には美濃可児郡の土田出身の土田政久の息女とされているが諸説ある(土田御前生誕の地)。夫の信秀の死後、次男・信行と共に末森城に住んでいた。うつけと呼ばれた信長を嫌い、品行方正な信行を可愛がったといわれる。信行の死後は信長や於市と共に暮らし、幼かった信長と於市の子供たち(信忠,信雄,信孝,茶々,初,江など)の面倒を見ていた。
本能寺の変で信長と孫の信忠が自害した後は孫の信雄の庇護のもとにあり、「大方殿様」と尊称され、640貫文を化粧料として与えられていた。1590(天正18)年に信雄が改易された後は伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、同地で死去した。