前田與十郎長定墓所〔速念寺内〕
まえだ よじゅうろうながさだ ぼしょ(Grave of Yojuro Nagasada Maeda [in Sokunen-ji Temple])
【K-AC060】探訪日:2018/3/17
愛知県名古屋市中川区前田西町1
【MAP】
〔駐車場所〕
前田長定(種定)が織田信勝家臣の林氏の与力であったが、その後、佐久間信盛と子の信栄に仕え、本能寺の変後には織田信雄に属した。
1584(天正12)年、小牧・長久手合戦時、長定は前田城(下之一色城とも)を子の長種に任せて織田信雄の指示で佐久間正勝(信栄)の守る蟹江城の守備についていた。この当時、城将の佐久間正勝は伊勢国峯城の守備に出張して蟹江城に居ず、叔父の佐久間信辰が城代となっていた。長定は羽柴秀吉方の滝川一益の誘いを受けて秀吉方に寝返ってしまった。6月、秀吉方の滝川勢と九鬼水軍が蟹江城に迫ると、長定は城門を開いて滝川一益とその軍勢を引き入れ、佐久間信辰を追放した。蟹江城の異変を知った徳川家康と織田信雄は直ちに奪還の行動を開始したため、小勢の滝川一益は守りきれずに降伏開城した。滝川一益は許されたが、長定は許されず、船で退去するところを家康の命により妻子共々討ち取られたと言われている。長定の墓は、前田城跡の速念寺にある。
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▲速念寺門前
▲速念寺
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