平針城跡
ひらばりじょうあと (Hirabari Castle Ruins)
【C-AC387】探訪日:2021/5.14・2022/12.16
愛知県名古屋市天白区平針1丁目
【MAP】
〔駐車場所〕
平針第一古城とも呼ばれる。築城年代は定かではないが、上杉氏の家臣であった小野田勘六が何らかの理由で上杉家を離れ、この地に城を築いたとされる。さらに、平針の領民からの反感を買い、この地を追われたともいわれているが、勘六の墓所が南東の慈眼寺に残されており真実は定かではない。小野田氏の名は三好城や明知城の城主にみられるが、関係は明らかではない。また、1604(慶長9)年の祐福寺再建の棟札にも小野田氏の名がみえる。
1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの際には、織田方の佐々成政が入城している。
城は現在の神田公園辺りあるいは郷之島公園の北辺りとされ、規模は東西約60m,南北約57mといわれ、天白川を天然の掘として南を通る飯田街道(平針街道)を押さえる交通の要所であった。
なお、平針第一古城の南西1Kmほどのところ(名古屋市立原小,中学校の辺り)に平針第二古城がある。