三好(三吉)城跡
みよしじょうあと (Miyoshi Castle Ruins)
【C-AC329】探訪日:2020/6/29
愛知県みよし市三好町宮ノ越42
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、小野田氏、そして佐久間大膳亮勝之が城主と伝わる。勝之は尾張国御器所西城の佐久間盛次4男として生まれ、佐々成政の娘婿となり一時は佐々姓を称していた。1582(天正10)年、織田氏による甲州征伐の際、高遠城の戦いで戦功があり三好城の城主となった。しかし、信長の死後に羽柴秀吉に反発し、1585(天正13)年には佐々家を辞して関東へ移り、三好城は廃城になった。
勝之はその後、徳川家康に仕え、1615(元和元)年の大坂の陣で戦功を挙げ、信濃国長沼藩1万8000石を領している。
城は標高35m,比高5mの丘陵上に築かれ、現在の三好中学校グランドが城跡だったとされるが、顕著な遺構は残されていない。
なお、蛇足であるが、上野東照宮,京都南禅寺,名古屋熱田神宮にある大灯籠は佐久間勝之が奉納したもので、これらは合わせて「日本三大灯籠」と呼ばれている。