明知城跡
みょうちじょうあと (Myochi Castle Ruins)
【C-AC328】探訪日:2020/6/29・2021/4/19
愛知県みよし市明知町下屋敷113
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1379(康暦元)年頃の祐福寺の記録に明知城主・小野田長安(阿願)の名があることから既に城(居館)も存在していたことがわかる。
戦国時代になると、いきさつは不明だが原田親種が筑前国から三河国へ来住し城主となり、松平清康に仕えたという。その子・重種は松平広忠に、孫の道種は家康に仕えた。道種の子・勘兵衛種正も幼少より家康に仕え、1584(天正12)年の小牧長久手の戦いや1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い等で戦功を挙げている。
50m四方の在地土豪クラスの居館とされるが、現在は住宅,畑地に変わっており遺構は残されていない。