生駒親正墓所〔志度寺〕
いこまちかまさ ぼしょ〔しどじ〕(Grave of Chikamasa Ikoma[in Shido-ji Temple])
【K-KG002】探訪日:2019/7/20
香川県さぬき市志度
【MAP】
〔駐車場所〕
1603(慶長8)年2月13日に78歳で死去した生駒親正の墓所のひとつである(高松市の弘憲寺にも墓がある)。
親正は美濃国可児郡土田に生まれ、織田信長の美濃攻めに際してその臣下となって以降、信長死後は秀吉の家臣となり、山崎の戦い,賤ヶ岳の戦い,小田原征伐,文禄の役などに参加し活躍した。1595(文禄4)年には讃岐国17万1800石を与えられ高松城と丸亀城を築き城下町の形成に着手した。秀吉の晩年には、中村一氏,堀尾吉晴と共に三中老に任じられて豊臣政権に参与したとされる(三中老は後世に作られた実在しない制度とする指摘もある)。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、子の生駒一正が東軍に与していたため生駒家の所領は安堵された。親正は剃髪して高野山に入ったが、ほどなくして讃岐に戻りに高松城にて死去した。
なお、隣には生駒家の先祖とされている「海女の墓」がある。