達智屋敷跡
だっちやしきあと (Residence Ruins of Dacchi)
【R-AC042】探訪日:2021/4/19
愛知県愛知郡東郷町春木北反田
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1389(嘉慶3)年頃、祐福寺の再建に尽力した達智賢了上人の屋敷跡とされる。
1191(建久2)年に下野国の武将・宇都宮頼綱によって創建された祐福寺ではあるが、荒廃が進み1327(嘉暦2)年に一度は再建を試みたが、元弘の争乱のため果たすことができなかった。1379(康暦元)年頃、明知城主の小野田長安と傍示本城主の加藤時利が深く浄土宗を帰依し、美濃国稲葉山下の立政寺開山・智通菩薩に当地の浄教宣布を懇願した。智通は高齢であったため、代わりに弟子の達智賢了を遣わすこととした。
達智賢了は当初傍示本の専福寺に居住して、尾張,三河一円に浄土宗の布教に励み、のちに屋敷に移り住んで荒廃した祐福寺を再建させたという。
屋敷跡は定かではないが、東郷町総合体育館南側の東郷町ふれあい広場辺りかと考えられている。遺構は残されていない。なお、祐福寺までは約1.5kmである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
関連年号 | 1379年・1389年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
達智賢了 | **** | 小野田長安 | **** | 加藤時利 | F*** |
智通菩薩 | **** |
屋敷跡の位置ははっきりしていない。ふれあい広場の駐車場に車を停め、周辺を歩いてみると、広場のさらに南の地区は緩やかな高台となっており、完全に住宅地ではあるが「中通屋敷」「北所屋敷」など「屋敷」の付く地名が多く、祐福寺にも近くなることから、達智屋敷はもう少し南にあってもおかしくない気がした。
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▲ふれあい広場
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