田楽坪:今川義元戦死地〔桶狭間古戦場〕
でんがくつぼ:いまがわよしもと せんしち〔おけはざまこせんじょう〕
(Dengakutsubo;Where Imagawa Yoshimoto Was Killed[Historic Battlefield of Okehazama])
【B-AC001b01】探訪日:2007/6/16・2018/7/22・2021/3/11
愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001-1202
【MAP】
〔駐車場所〕
1560(永禄3)年5月19日、午後1時頃からの大雷雨が収まり始めた頃、釜ヶ谷から今川義元本陣の右翼に襲い掛かった織田信長軍は、2時頃に親衛隊300名の円陣に囲まれた塗輿に乗った義元を見つける。信長の命令で織田軍の攻撃がこの円陣に集中し、次第に切り崩していく。義元はおけはざま山の西の深田際(田楽坪)まで追い詰められた。最初に服部小平太(一忠)が一番槍をつけたが、義元の反撃を受けて膝を斬られた。そこへ助太刀に入った毛利新介(良勝)が義元を組み伏せ首級を挙げた。その際、義元は新介の左指を喰い切ったという。総大将である義元の戦死により今川軍は戦意を喪失し、戦いは織田軍の勝利に終わった。
なお、義元の首級は長福寺の首検証された後、鳴海城の守将・岡部元信との交渉で、鳴海城開城と引き換えに今川方へと渡された。胴体は三河国大聖寺に葬られている(今川義元墓所)。
現在の桶狭間古戦場公園が今川義元の最期の地とされるが、北東1kmほどのところにも豊明市の「桶狭間古戦場伝説地(国指定史跡)」がある。おけはざま山がどこか比定されておらず、戦いがどこで繰広げられたかも明確な位置が確定されていないのが現状である。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 1560年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
今川義元 | G361 | 服部小平太(一忠) | OD** | 毛利新介(良勝) | **** |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲古戦場のジオラマ
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▲左:近年の「今川義元公」の墓・右:発掘された「駿公墓碣」
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