長福寺
ちょうふくじ (Chofuku-ji Temple)
【T-AC067】探訪日:2021/3/11
愛知県名古屋市緑区桶狭間427 <📲:052-622-7009>
【MAP】
〔駐車場所〕
創建時期については定かではない。1538(天文7)年あるいは1569(永禄12)年とされるが、桶狭間の戦いの際に寺があったことは確実なため、後者の場合は寺名が異なっていたと考えられる。当地に到着した今川義元勢を饗応し、労をねぎらったという逸話が残っている。年代は定かではないが、善空南立上人が当時衰退していた長福寺を立て直した中興の開山としてその名を残している。
18世紀初頭には荒廃が進んでいたとされるが、1740(元文5)年に住職となった観岳上人が堂宇をすべて再築したという。だが、天明年間(1781~88年)には火災が起き寺宝焼失の憂き目に遭っている。
境内には本堂,薬師堂,観音堂,鐘楼などの堂宇がある。境内南側には弁天池と呼ばれる放生池があるが、桶狭間の戦いの際に血のついて刀を濯いだということで「血刀濯ぎの池」とも呼ばれている。また、山門から入った付近に大杉が一本立ちそびえているが、伝承では、今川義元の茶坊主であった林阿弥がこの場所で主君の首実検を命ぜられたという(首検証跡)。大杉は供養杉と呼ばれ、現在は2代目である。なお、林阿弥は許されて故郷に帰ったが、後に回向のために当寺を訪れた際に納めた阿弥陀如来が現在の本尊となっている。このほか、寺宝として今川義元及び松井宗信の木像,桶狭間合戦記,鎧,槍などを所蔵している。
長福寺の西を流れる鞍流瀬川は、桶狭間の戦いの折り、川が血で真っ赤に染まり、馬の鞍の流れる様子から名づけられたともいわれる。