山内盛豊,十郎墓所〔法蓮寺〕
やまうちもりとよ,じゅうろう ぼしょ〔ほうれんじ〕(Graves of Moritoyo Yamauchi and Juro Yamauchi [in Horen-ji Temple])
【K-AC041】探訪日:2015/9/12
愛知県一宮市木曽川町黒田勘治西60
【MAP】
〔駐車場所〕
黒田城跡の北東に位置する法蓮寺にある。 天文年間(1532~55年)に尾張国上四郡守護代の岩倉城主織田伊勢守信安の家老であった山内但馬守盛豊は城代として黒田城を居城としていた。 1557(弘治3)年、織田信長の手勢によって夜討に遭い、山内盛豊と長男十郎は討死したとされる。ただ、盛豊については、その後の活動を著した確かな史料もあり間違いであると考えられる(盛豊は1559年の岩倉合戦で死亡か?)。生き残った山内一族は主家の岩倉城に逃れたものの、翌々年にはその岩倉城も信長によって落城したため、山内家は一豊が豊臣秀吉の下で立身するまで離散することとなる。
【史跡規模】
【指 定】一宮市指定史跡(1973年10月1日指定)【国 宝】 【国重文】
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▲左:十郎,右:盛豊の墓
▲法蓮寺