石川政康墓所
いしかわまさやす ぼしょ (Grave of Masayasu Ishikawa)
【K-AC137】探訪日:2020/11/13
愛知県安城市小川町志茂
【MAP】
〔駐車場所〕
石川氏は石川義忠の時代(鎌倉末期)、幕府軍に追われて小山氏を名乗って下野国に身を隠した。石川政康は下野にて蓮如と出会い、その誘いに応じて三河に赴く。1446(文安3)年、三河国碧海郡志貴荘村に小川志茂城を築いたとされる。なお、政康は三河移住と共に姓を石川に戻した。
小川築城後、政康は額田郡土呂に一族の寺として本宗寺を建てたが、1468(応仁2)年に三河へ下向した蓮如に本宗寺を寄進、蓮如の子である本願寺第9世法主の実如の4男実円を住職として迎え入れ、本願寺法主の一族が住持する一家衆寺院として三河における本願寺門徒最大の拠点とした。政康の子息康頼(僧明了)は小川城の隣に石川山蓮泉寺を建てた。
1471(文明3)年、安祥城主となった松平親忠からの男子一人を家老にとの申し出を受け、3男の石川親康が親忠に臣従したとされる。1502(文亀2)年、政康は死去した。