宇田津砦跡
うたづとりであと (Utazu Fort Ruins)
【C-AC335】探訪日:2020/9/22
愛知県小牧市市東3丁目
【MAP】
〔駐車場所〕
1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの際、徳川家康,織田信雄方が築いた砦である。徳川の譜代である松平氏(源次郎親乗?,忠頼)らの兵1500が布陣した。その規模は東西62m,南北約69mで総構約210m四方。秀吉方の二重堀砦に近く最前線に位置したことから、しばしば小競り合いがあったとされる。家康はこの砦と東西に位置する田楽砦と北外山砦をつなぐ道を新たに整備している。
また、池田恒興らが三河岡崎に向かった三河中入の際は、この砦の兵は動かず、小牧山,北外山方面の守備を固めている。合戦後には廃城となっている。
現在、遺構などは残されておらず、砦跡の石碑や説明板は住友理工(株)敷地内の「哥津の森」に建てられており、見学には立ち入り許可が必要である。また、すぐ西を流れる大山川には、小牧長久手の戦いが名前の由来ではないかとされる「不発橋」が架かっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1584年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川家康 | TG01 | 松平親乗 | MT** | 松平忠頼 | MT** |
砦の守将とされる松平源次郎親乗についてであるが、大給松平家の親乗は1577年に死去しており、能見松平家の親乗なのか(源次郎なのかは不明)。また、松平忠頼についても疑問が残る。のちに浜松城主となる忠頼であればこのときはまだ2歳であり、この時代の松平家の中に忠頼の名前は見当たらない。
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▲史跡は住友理工の敷地内
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▲【転載】
▲【転載】
▲【転載】
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▲不発橋(西→東)
▲不発橋(東→西)