推古天皇36年(628年)に推古天皇が崩御した際、蘇我蝦夷や阿倍内麻呂と組して次期天皇に田村皇子(のちの舒明天皇)を推挙し事態を収めた。 その他の業績については不明であるが、皇極天皇3年(644年)に息子の鎌足が神祇伯への就任を辞退しているため、御食子も生前同職に就いていたのではないかとされている。