MT08:松平忠景 | 松平親氏 ― 松平忠景 ― 松平忠定 | MT09:松平忠定 |
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松平忠定 | 松平好景 |
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初代深溝松平氏である。大永4年(1524年)、兄松平元心は松平長親の命により額田郡深溝城主であった大場景紀を滅ぼし深溝城を奪う。その戦功を弟である忠定に譲り、深溝松平家を発祥させる。深溝城を奪う際に忠定が大場景紀の臣稲吉惣助と謀り、大場景紀を毒殺したという説もある。島原本光寺の説によると、岩津松平親長の娘と婚姻してその所領を譲受し発祥させたというが、真偽のほどはわからない。 |
元康の三河統一事業に敵対していたのが吉良氏だった。吉良義昭は、自らの居城西尾城を家人に任せ、東条の城に入った。この城の正面になったのが、深溝松平氏二代目松平好景の居城、深溝城だった。松平好景は中島城へ入り、東条の城を牽制する形をとった。永禄4年(1561年)2月に家康自ら東条城を攻めたが、吉良義昭はよく戦い、東条の城は落ちなかった。 |
松平伊忠 | |
三河出身の徳川氏譜代の家臣で、善明堤の戦いでは上野城遠征中に難を逃れ、深溝松平家の3代目を継いだ。 |