HT01:秦 酒公 | 秦 酒公 ― 秦 物主 | HT10:秦 物主 |
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惟宗直宗 | 惟宗公方 |
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貞観19年(877年)4月1日の夜間に日食が発生する予測を陰陽寮が上奏した際、陽成天皇が各博士に廃朝の是非を問うたところ、直宗は明法博士として、『儀制令』『令義解』『公式令』の内容を勘案すると夜間の日食では廃朝を行うべきでないと解釈できる旨を述べた。同年11月に外従五位下に叙せられ、同年12月に弟の直本と共に本貫を讃岐国香川郡から平安京の左京六条に移すことを許される。 |
右衛門権少志を経て、醍醐朝の後期の延長4年(926年)以前に明法博士に任ぜられる。以降、醍醐,朱雀,村上,冷泉の四朝30年以上に亘って明法博士を務める。この間、主計助,大判事,勘解由次官,民部少輔,左衛門権佐などを兼帯した。 |
惟宗直本 | 令宗允亮 |
陽成朝の元慶元年(877年)兄・惟宗直宗とともに讃岐国香川郡から左京六条に移貫する。元慶7年(883年)直宗を始めとして直本自身を含む同族19人が、それまでの秦公姓から惟宗朝臣姓を賜与され改姓した。 |
父は明らかでなく、惟宗公方,惟宗致方(公方の子),惟宗忠方の諸説がある。『大日本史』では允亮を惟宗直宗の玄孫とする。 |