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鎌倉景政 | 香川元景 |
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父の代から相模国鎌倉を領して鎌倉氏を称した。居館は藤沢市村岡東とも鎌倉市由比ガ浜ともいわれる。 |
室町時代末期、讃岐国香川氏に生まれる。香川氏は東讃の安富氏と並び、代々讃岐国守護代を務めつつ在国、在京の二家に分れ畿内の抗争にも奔走。京兆家の政務執行を補佐する役目にあった在京香川家は京兆内衆として年寄衆,管領伴衆,管領内意見人などを歴任。しかし応仁の乱中に元明が戦死したことにより香川惣領家が断絶。その後、在国香川家が宗家となったと考えられている。 |
香川親和 | 長江勝景 |
永禄10年(1567年)、土佐国の戦国大名・長宗我部元親の次男として生まれる。天正6年(1578年)、父・元親は讃岐国へ侵攻し、天正9年(1581年)に西讃岐4郡の守護代である香川之景(信景)のもとへ和睦の条件として親和を養子として送り込み、香川氏の名跡を継がせた。このとき、香川五郎次郎と名乗る。 |
深谷長江氏は長江義景の一族、あるいは四弟とされる義員が陸奥国桃生郡深谷に入り、葛西清重の3男・清員を養子としたことにはじまるとされる。長江氏は小野城を本拠として代々葛西氏と親密な関係を築いていたが、だんだん葛西氏や大崎氏の圧力が強まり、長江宗武が伊達持宗に仕えて以降は伊達氏とも親密な関係となり、15世紀末から続いた葛西氏の内乱においては伊達氏から養子に入った葛西宗清を支援して葛西朝信・政信兄弟と戦ったとされる。 |