通式が久我家から分家して久世家を興した時期は明確でないが、通式は元和5年(1619年)10月に所領として山城国乙訓郡下久世村において二百石を新知されている。 通式が肥後藩主細川忠興の長男細川忠隆の3女福姫(1609年-1635年)を正室にした由縁で、福姫死後も助成米が細川家から送られている。また細川忠隆死去にあたりその遺志として、子の久世通俊に助成米として年百石が贈られるようになった。 久世通式以後は、通式-通俊-通音と続き、現在まで22代続く。代々近衛府の役に任じられ、通夏以後はいずれも権大納言に昇進。明治後に子爵。 膨大な山城国京都久世家文書が明治大学などに残され、国文学研究資料館などで研究されている。