F028:二階堂行政 |
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二階堂行忠 | 二階堂行貞 |
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政所執事は代々主に二階堂行盛の子孫が世襲している。最初は二階堂行泰が継ぎ、その後に子である行頼,行実が継ぐがそれぞれ早死にする。その後、政所執事を継いだ行泰の弟の二階堂行綱の家系でも子・頼綱が政所執事を継いで2年後に死去したため、政所執事の職には当時評定衆であり叔父・行忠が63歳という高齢で就任することになる。 |
父の二階堂行宗は引付衆まで進んだが、父親の行忠に先立って1286年(弘安9年)に没しており、1290年(正応3年)の行忠の没後は孫の行貞が22歳で政所執事に就任した。その人事は単に家を継いだだけに等しかったが、その年は1285年(弘安8年)の霜月騒動によって得宗家被官・内管領の平頼綱が実権を握っていた時期にあたる。 |
二階堂行元 | |
系図的には叔父の行広の後継者であるが、政治的な立場としては実兄の二階堂高衡(行直)の地位を継承した。高衡には嫡男の氏貞がいるが畠山国清の失脚後に代わりに鎌倉府政所執事になっている。 観応元年(1350年)に検非違使に任じられたが、観応の擾乱では一族とともに足利直義を支持して北国に下向した。 |