MT01:松平親氏 | 松平親氏 ― 松平與嗣 | MT04:松平與嗣 |
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松平與嗣 | 松平家広 |
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従五位下佐渡守に叙任され、三河国宝飯郡形原郷に住居して750貫を領した。永正年間(1504~21年)の12月21日に死去した。墓所は蒲郡市西浦町の光忠寺にある。 |
於大の方の姉・於丈の方(於上の方)を妻とする。於丈の方との間に松平家忠をもうける。 |
松平家忠 | |
主家の松平氏と同様今川氏に従属し、家忠の弟の左近が竹千代と共に人質になり今川方に送られていたが、1560年に今川義元が桶狭間の戦いで討ち死し今川氏が弱体化すると、主家の松平元康と共に形原松平家は今川氏より離反した際に、左近は処刑されている。後に家忠が成人し当主となると家康に従い、一向一揆と戦い、また、今川方の吉田城攻めにおいては奮戦し勝利し左近の仇である小原鎮実を破った。後に駿河を追われ掛川城に逃れた今川氏真を家康が攻略した際には、氏真を北条氏の領地である伊豆国へ護送する任を果たした。1575年の長篠の戦いにも参戦し活躍する。1582年に形原において死去。 |