清和源氏

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泉 親衡

 建暦3年(1213年)、源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立して執権北条義時を打倒しようと図り、郎党の青栗七郎の弟で安念坊という僧を北条氏に批判的な御家人に遣わし挙兵への協力を求めていたが、千葉成胤により安念坊が捕縛され、彼の自白により陰謀は露見。直ちに遣わされた捕縛の使者と合戦に及び、その混乱に乗じて逐電した。この時の配下に青栗四郎,保科次郎,籠山次郎.,市村近村,粟沢太郎らの名が見える。その後の親衡の行方は不明。
 埼玉県川越市小ヶ谷町にある瑶光山最明寺の縁起によると、親衡は千寿丸とともに当地に落ち延びて出家し「静海」と名乗り、文永2年5月19日(1265年7月3日)に88歳で没したとされ、静海の宝篋印塔も残るという。
 乱の後、小泉荘は北条泰時に没収され、泰時が荘内の室賀郷を善光寺に寄進した。