YA09:秋月種長 | 東漢 掬 ― 東漢爾波伎 ― 大蔵広隅 ― 大蔵種資 ― 原田種直 ― 秋月種雄 ― 秋月種長 ― 秋月種美 | YA10:秋月種美 | ● |
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秋月種美 | 秋月種茂 |
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第5代藩主・秋月種弘の長男。庶長子ではあったが世子となり、享保19年(1734年)12月7日、父の隠居により跡を継いだ。鷹山の実父だけあって有能であったが、宝暦3年(1753年)に父が死去するまでは実権はなかった。父の死後に親政を行うが、種美の治績は文武を奨励し、藩士子弟の遊学を許して広く人材を求め、藩の軍備を充実させると同時に、民政においても代官には人格ある学者を起用するなど、人事制度に大きな治績を残している。種美は「国家の至宝は人材に有り」と述べているが、後に鷹山が成功したのはこのような父親の藩政を見習ったためかもしれない。 |
第6代藩主・秋月種美の長男。米沢藩主で名君と呼ばれた上杉鷹山の兄に当たる(ちなみに種茂は鶴山と号している)。 |
秋月種殷 | 秋月種樹 |
日向国高鍋藩第10代(最後)の藩主となる。天保14年(1843年)8月21日、種任から家督を譲られて当主となる。治世は30年に及び、教育の振興に尽力した。 |
9代高鍋藩主・秋月種任の3男として生まれる。安井息軒,塩谷宕陰らに師事する。若年より英明で知られ、秋月楽山は小笠原明山(長行),本多静山(正訥)と並んで「学問界の三公子」と称された。 |