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島津忠朗 | 島津久門 |
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元和2年(1616年)11月7日、島津家久の3男として生まれる。元和5年(1619年)、家久に伴われて京に上り、二条城で将軍・徳川秀忠に拝謁する。江戸に下り幕府の証人を務める。寛永2年(1625年)、帰国。寛永8年(1631年)、祖父・義弘の隠居領の加治木1万石と、義弘付き家臣の加治木衆317家を拝領し、加治木島津家を興す。 |
享保14年(1729年)2月、島津継豊の次男として鹿児島城で生まれ、同年11月25日に分家筆頭で島津綱久の次男でもある加治木島津家当主・島津久季の養子となった。幼名は善次郎。なお、母の登免(島津久房の娘)は天明年間まで生存していたが、継豊と登免との子は善次郎1人であった。 【SM05】島津重年を参照 |
島津久方 | 島津久徴 |
延享2年(1745年)11月、分家の加治木島津家当主・島津久門(後の重年)の長男として生まれた。幼名は善次郎。母の都美は善次郎を出産したその日のうちに19歳で死去する。父が本家に復して薩摩藩主になると、加治木島津家を継ぎ、宝暦3年(1753年)12月、諱を久方とする。父の病弱に加え、翌年2月2日に父の継室・於村が死去し宗家で嗣子誕生が望めなくなったため、同8月に重年の嗣子として本家に迎えられ、忠洪(のちに重豪)に改名。宝暦5年(1755年)6月、父・重年が死去したため、11歳で家督を継いだ。 【SM05】島津重豪を参照 |
薩摩藩家臣の加治木島津家第6代当主。 |
島津久賢 | |
旧人吉藩主・相良頼基の6男として生まれる。1896年(明治29年)、加治木島津家当主・島津健(とし、前当主・故島津久宝夫人、島津久徴6女)の養子となり、同年8月14日に家督を継承。1897年(明治30年)10月27日、久宝の戊辰戦争の功により特旨をもって男爵を叙爵した。 |